刀鍛冶と鉄砲鍛冶

「鉄砲(てっぽう)」は、1543年に種子島(現在の鹿児島県)に中国船に乗ったポルトガル人がたどり着いたことから伝来されたと言われております。当時、鉄砲は「火縄銃(ひなわじゅう)」と呼ばれておりましたが「種子島」と呼ぶ人びともいたようです。鉄砲を作る職人たちは、日本刀をつくる職人たちを刀鍛冶と呼んだように「鉄砲鍛冶(てっぽうかじ」と呼んでいたようです。鉄砲の伝来は、それまでの城づくりにも影響を与えるとともに、新兵器として合戦の勝敗にも大きな影響を与えました。1575年の織田と徳川の連合軍対武田軍の戦い、明治維新の大政奉還後の戊辰戦争などでは幕末に登場した西洋式の「鉄砲」の存在が大きくクローズアップされています。