長曽祢虎徹

長曽祢虎徹は江戸前期の刀工である。元々、長曽祢一族は、越前で甲冑作りを生業としていた。初代虎徹が居所を江戸に移し作刀を始めたのは、齢五十を過ぎてからであった。

作刀の師匠は、和泉守兼重であったといわれている。晩年から作刀を始めたにもかかわらず、延宝6年に没するまでの15年間で200振り以上という驚異的な数の刀剣を作刀した。虎徹が作る刀剣の特徴は、江戸時代の新刀に分類される刀であるにもかかわらず、古刀のように地鉄が柔らかい反りの無い造りになっている。多くの武士が虎徹を愛刀とした中で新撰組局長・近藤勇が虎徹を愛したことはつとに有名である。

虎徹の切れ味の鋭さを物語る逸話として、試し切りに庭の松の枝を切ったところ下にあった石灯籠までも真っ二つにしたという話が伝わっている。長曽祢虎徹は、江戸新刀派の名刀工・野田繁慶、越前康継と総じて「江府三作」と称される。