五箇伝と美濃伝

「五箇伝」とは、日本刀の五大流派を言う。鍛え方、作風、時代、生産地で「大和伝」(奈良県)、「山城伝」(京都府)、「備前伝」(岡山県東部)、「相州伝」(神奈川県中西部)「美濃伝」(岐阜県中南部)、に分類される。

これ以外の小さな流派は「脇物」と呼ばれる。大陸から日本に製鉄技術が伝播したのは、五世紀頃と思われる。製鉄技術の掌握は、富と権力の掌握と同義であった。大和(奈良県)の覇権が著しく確立されてくると、富と権力が大和に集約されていった。

大和の権力者の命令または要請により刀鍛冶が居住し作刀を始める。刀剣には銘は刻まれておらず刀匠の特定が困難である。刀姿は、中国で主流であった直刀。日本刀の特徴である反りはまだ無い。

これらを「大和伝」と称する。美濃国は、日本列島の臍ともいえる位置にある国である。古くは、天武天皇元年、天武天皇方と弘文天皇方が天下の覇権を懸けて激突した壬申の乱。

戦国期末の慶長5年、西軍(実質的な総大将は石田三成)と東軍(徳川家康)が激戦を繰り広げた天下分け目の関ヶ原の戦。その後の日本の体制を決定づける二度の大きな戦いがこの地で起きている。

いつの時代も居並ぶ群雄が鎬を削って戦ったことが、刀剣の産地として発展する素地となり、高い技量の発達を促したといえるかもしれない。「五箇伝」の中で一番新しく、戦国期に美濃国で成立したこれらの刀剣を「美濃伝」と称した。