日本刀と美術的価値

当時において、どれくらい良質な日本刀を作れるのかということは、様々な集団が競っていた部分もあるため、それぞれの時代を反映するような刀があったということを推測することしかできないというのは、一つ残念な部分であるという風に言えるかもしれません。戦乱の時代が終わると、豊臣秀吉によって天下が統一されたため戦はなくなり、武将などからは、刀が没収されることもあったという風に習った人は多いかもしれません。そして、様々な自然災害などが立て続けに起こり刀鍛冶の集団がなくなってしまうなど一時期は刀を作る技術が廃れつつあったという風にも言われているようです。しかし、この頃であっても、変わらず刀技術を継承している場所もあり、そのような場所では天下の台所と言われた大阪などに美術品として、日本刀を持ち込むなどして、比較的裕福な人などへ売り込むなどして高級品として扱われていたことがあるように考えられているようです。とりわけ、この時代の刀といえば、はるか昔の刀の形を模倣しようとしたような形跡が多く見えて骨董品としての価値をよく理解していた痕跡が見えるのでも、面白い点であるという風に言われているわけです。さらに時代が進むと、天草島原の乱などが生じて以降は、ほとんど大きな争いというものはなくなってしまい、結果として、小さな日本刀までも使わなくなる時代が到来してしまったということが、日本刀の文化の衰退の原因であるというふうに考えてもいいかもしれないのではないでしょうか。