日本刀の地文について

日本刀の表面にも鍛錬・焼入れすれば、自然に地肌に文様が出てくるものだそうです。それを意識して、そこに肌文様を強調し、板目・柾目・杢目と名付けられたとされています。

この用語の中で初期に現れたのが柾目です。『銘尽』の正和五年(一三二ハ)の豊後国行平の項に「はだ、まさめ」とあり、地鉄の色についてはよく表現していますが、地文についてはほとんど表現がないようです。少し時代が下がって、能阿弥(一三九七~一四七一)の鑑定書として伝える『能阿弥本銘尽』にも、地肌の色については記されていますが、肌の文様についての記述が少ないようです。

その中に、「則国肌けんざん肌なり」とあります。「けんざん」とは、中国宋代に生まれた建蓋と呼ばれる美しい天目茶碗に似ている肌のことと思われます。また、則重の説明には、「ひろ直ぐ焼刃沸いりたり。砂流し白く浮きて雲のうずまきたるようにありて肌こまやかなり」とあり、「砂流し」「白く浮きて雲のうずまきたる」とあるのは、刃縁に絡な地肌の文様、だと判断できます。このころ、杢目・板目を用いず、「建蓋」「雲のうずまさ」などと、物の形を借りて表現していたようです。

室町末期から桃山時代には、板目・柾目・査目がすべて出揃っています。建蓋とか雲の渦巻き・砂流しのような表現が、板目・柾目・杢目と整理され、鉄の色合いの表現も少なくなっていきます。

戦国時代の終わりごろ、新興武土層が新たに名刀を購入するには、鑑定家の判断にゆだねざるを得ず、このころあたりから鑑定が盛んになり、刀剣の良し悪しを判断する言葉がにわかに増えてきたと考えられます。地肌の文様の板目・柾目・杢目も、このころから用いられるようになったようです。